[前回の追記]
バンヴェニストとのあいだに交わされた1976年の唯一の接触は、メショニックの後年の詩篇でも回顧でもなく、「ことわざ」論をいったん迂回する。
これが70年代のメショニックによるバンヴェニストの継承のひとつの帰結であった、と考えてみたらどうだろうか。その論稿ではバンヴェニストへの直接的な言及はないが、明らかにバンヴェニストの言語学を下敷きにしているからである。(一箇所、ソシュールのメイエ宛の有名な手紙に触れられているのだが、これはバンヴェニストが「ソシュール研究誌」(20号)に掲載したものである。)
それだけでなく、「ことわざ」はメショニックの第一詩集のタイトルが示すように、70年代の彼の詩と理論のそれぞれに、また架橋にひとつの鍵となっていたからである。
だからどうということでもないけれど。
さて、メショニックはバンヴェニストを中心に論じた文章を三つ発表した。それが以下の論稿。その他の著作でも多数言及されている。
1970 : « Sémiotique et poétique, partant de Benveniste », Cahiers du Chemin, n° 10, octobre 1970, pp. 124-138. Repris dans Pour la poétique II, pp. 173-187.
1995 : « Seul comme Benveniste », Langages, n° 118, juin 1995, pp. 31-55. Repris dans Dans le bois de la langue, 2008, Paris, Laurence Teper, pp. 359-389.
1997 : « Benveniste : sémantique sans sémiotique », É. Benveniste. Vingt ans après. Actes du colloque de Cerisy la Salle, 12 au 19 août 1995, in Linx, n° 9, juin 1997, pp. 307-326. Repris dans Dans le bois de la langue, 2008, pp. 390-418.
これもすれ違いかもしれないが、メショニックは、バンヴェニストのボードレール論、詩的言語論が公刊される前に亡くなった。それを見ずに、バンヴェニストのなかに「詩学」と「言語理論」の結びつきを読みとっていた数少ない、あるいは唯一人のひとだった。彼は予言者(prophète)になってしまったのだろうか。「ここで私が示したいことは、ただバンヴェニストが、このような理論上の連関を準備していると同時に、それが作り出されなければならないところまで彼は来ていたにもかかわらず、(私の知るかぎり、彼のものと認められているあらゆるテクストにおいて)この連関に気づいていないということである。」(1997)彼が目指したのは、両者の理論の連関であり、端的に、「ディスクール」の「リズム」という考え方である。ディスクールの運動のなかの組織化、それがリズムである。なんという直観、なんという茫漠さだろう。